ある程度独善的なやり方も必要なのではないか

ある程度独善的なやり方も必要なのではないか #

viaみんなの意見で社会が滅ぶ - レジデント初期研修用資料

独裁者は、成果を最大にするやりかたを選択する。独裁者というのは、「みんな」とは切り離された個人だから、 独裁者個人の最適と、全体最適とが、しばしば一致する。「いい独裁者」には、 全体最適な政策と、個人の思惑とに葛藤が生じない。独裁国家は、だから案外うまく行く。

選挙で選ばれる政治家は、社会にある「嫉妬」の量を最小化するように振る舞う。 多数の人に恨みを買った政治家は、次の選挙で落選してしまうから、「成果最大」と「嫉妬最小」とが ぶつかりあう状況になると、議会制度の下では、「成果最大」はしばしば選択されなくて、 政治家は何だか、馬鹿の集まりのように見られてしまう。

政治を回す人達と、現場回す医療者と、恐らくは両方とも、成果を最大にできる「本当の正解」を 知っているのに、多数決で回っているほとんどの地域では、嫉妬を最小にする、 無料化という「間違った」やりかたが押しつけられて、現場が吹き飛ぶ。

いつも楽しみに読んでいるが、今回は特におもしろかった

「成果最大」と「嫉妬最小」は面白いなぁ。「嫉妬最小」でうまくいった例をみないのは、社内政治しかしらないからだろうな、きっと
で、中間管理職は「嫉妬最小」にも結構気を使わないといけないわけですね

民主制とか公平とかいう旗をふってどうにもならなくなってしまうと、小さい企業はつぶれるが、ある程度の規模になるとなかなかつぶれないし、国はもっとつぶれない。つぶれないからこそ病が深くなりはしないか? だったら、「成果最大」の法則で独善的にやることも必要なんじゃないかな? というようなことを思った

で、「嫉妬最小」を目指す本当の理由は、わかりやすく言うと、誰しも嫌われたくなくて、悪者になりたくないからだよねー、とも思った

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